太陽電池モジュールで太陽の光を受けて効率よく電気を作るブログ:20170509
結婚して数年経って、
平穏な毎日を送っている今も、
俺にはしばしば眺めている数枚の写真があります。
それは
母と幼い俺が写った数枚の記念写真。
上野の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑む母のそばでにっこりしているおかっぱ頭の俺。
どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さな俺と、
それを見守る母の優しい笑顔。
長い一本の道を、
手をつないで歩いていく母と俺の後姿…
子供の頃の思い出の横にはいつも母がいて、
俺はこんなにも母に見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。
でも子育てをしてみて
俺は初めて気がついたことがあります。
それは、
母との思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいないお父さんだったということ。
不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…
息子が生まれて、
俺がカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…
そこには、
息子を抱く主人、
息子をお風呂に入れる主人、
息子を息子寝かしつける主人…
俺との写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのむすめは俺が育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。
写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。
「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」
でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…
控えめなお父さんの深い真心に、
俺は心から感謝しています。
お父さんのおかげで、
俺も母も幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。