まだまだ問題点の多い太陽光発電ブログ:20170624
母親は何でも自分で作る人でした。
スーパーで売っている出来合いの惣菜や、
インスタント食品は我が家では禁止。
その頃、
テレビでインスタントのとんこつラーメンやカレーの宣伝が
盛んに流れていました。
ダメと言われるとよけい食べたくなるもので、
テレビのCMを見るたびに、
いつも食べたいと指をくわえていました。
スナック菓子なら目を盗んで買い食いできましたが、
ライスのおかずは何でも一から手作りされてしまい、
息子にとってはいつも残念な気分でした。
兄とは並んでよく料理の手伝いをしました。
ゴマを香ばしくすったり、
茹でたじゃがいもの皮を剥いてマッシュするのは
息子の係りだと思っていましたから…
母親は必ず自分で作ったものを、
一番おいしい状態で食べさせてくれました。
それが当たり前という感覚だったようです。
得意の天ぷらは必ず熱いまま食卓に出てきました。
狭い台所だったのに、まるで魔法のように
次から次へと揚げたてが並ぶのです。
揚げたてを
おいしいうちに食べさせてあげたいという母親の思いは、
そのまま料理のおいしさになっていたと思います。
パパはサラリーマンで、
日々だいたい決まった時間に帰宅しました。
パパが風呂から上がると家族そろっての夕方食。
パパには私たちとは違う一品が付いていました。
今思えばその一品は晩酌用の日本酒の肴だったのでしょう。
素材そのものが違うこともありました。
例えば、
私たちがあじの焼き魚の時、パパは蒸しかれいという具合い。
たまにパパがほんの少し料理を分けてくれるのですが、
それがすごく嬉しかったことを覚えています。
我が家には「パパの一品」が
いつも自然なものとして食卓に存在したのです。